"Souvenir" 編集後記
4,5ヶ月前ぐらいにキエフのコワーキングスペース:Co-Working Space(カタカナにするとわけわかんないな)でイランで旅行したときの動画の編集をした。
なぜあのとき重い腰を上げようと思ったのか全然わからないが、今回久々に動画を見直してみて形にはなっていたみたいなので振り返りと反省をつらつらと書き残しておきたい。
1.カメラの知識不足
見返して見て一番に思うのはこれだ。僕はBlackmagic Pocket Cinema Camera 通称BMPCCという「シネマカメラ」を3年ほど前から使っている。そしてこのカメラが今まで手にした初めてのカメラだ。理由は映像の質感が気に入ったのと、「シネマカメラ」だから。そして「シネマカメラ」は一眼レフとは違う。これは動画を、もっと言えば映画を取るためのカメラである。イランの映画監督ジャファール・パナーフィーの『人生タクシー』も、その小ぶりっぷりを買われたBMPCCで撮影されている。つまり、これは映画館で上映されるのに足るカメラであり、それをろくな知識もない素人が生半端な気持ちで扱えるほどのものではないのである。
このカメラが素人には難しいのは、自動機能がほぼ無いということだ。オートフォーカスも無く、手ぶれ補正もなく、ISOの調節からホワイトバランスまで全て手動。つまりそこらへんの知識を持ち合わせていない人間からしたらなぜうまく絵が撮れていないのかもわからないし、どう改善していいのかもわからない。
そんな状態の人間が撮ったのが、この"Souvenir"である。タイトルはもちろん、スペインの映画監督ホセ=ルイス・ゲリンの初期の短編から借用している。最初のコーヒーを注ぐ場面から猫にまでのパンとか、他にもブレブレなシーンがいっぱいあって、僕のおばあちゃんが見たらすぐさま「酔った」とか言いそう。
そのほかにも同じ場面なのに画面の明るさとか色調が変わっていたりして、不自然だ。そこらへんもISOとかホワイトバランスの設定とかの知識不足のせいだ。そして、そこらへんの不具合をなんとかごまかせるのが、ポストプロダクションなのだが…
2.編集の知識不足
そう、私には編集の知識・技術もほとんどない。それぞれのクリップを前後入れ替えたり短くするぐらいの知識しかこのときは持ち合わせていなかった。今ならFCPXで、スタビライズの機能ぐらいはつけれるだろうが。
3.Davinci Resolve
そしてBMPCCといえばDavinciResolveというカラーコレクティングソフトフェアを語らないわけにはいかない。一説によればBlackmagic社は人々をこのカラーコレクティングの世界に誘うためにBMPCCを販売していると言われている。(しかし噂によるともうすぐ発売されるBMPCCの後継機、BMPCC 4Kには無料でこのDavinciResolveの
有料版がついてくるそうだ。)
さてこのDavinciResolve、何が問題かというと、とにかくプロフェッショナルなソフトなのだ。そして僕のearly2015 MacBookProでは動作がカクカクなのである…。最近はそれでもYoutubeなどを駆使して勉強をしてまがいなりにも知識を身につけつつあるが、この当時の映像の色調はほんとにひどい。まあ、これはこれで味があって個人的には気に入っているのだが。
4.旅動画の難しさ
僕に言わせれば、旅の動画を作るのは難しい。簡単そうに見えるのはそれは音楽があるからだ。音楽がリズムを生み出し、動画に高揚感と物語を与える。しかし動画が音楽に譲るべきものはあまりにも多い。音楽が主役なのか、画面が主役なのかわからなくなってくるのだ。いつか、画面が主役と言い切れるような旅の動画を作れると良いのだが。
チャリ
Barber
言語と思考
Fashion as design
坐骨神経痛と旅をする
坐骨神経痛とはさまざまな理由により骨盤から下腿にかけて走る坐骨神経を刺激することによって起因する痛みの総称である。梨状筋症候群、椎間板ヘルニアなど、ほかに様々な原因がある。要するに坐骨神経痛とは「骨盤から足にかけての痛み」のことで、僕はかれこれ一年以上坐骨神経痛に悩まされている。
僕が自分が坐骨神経痛のことを知ったのは半年前ほど前のことだ。家庭教師をしている生徒のお母さんに「ずっと前からふともも周辺が、しびれたり痛かったりするんですよね。」と話していたところ。「それ、坐骨神経痛じゃないですか?」と。家に帰って坐骨神経痛について調べてみるとぴったり自分の症状に一致する。今まで原因不明の痛みとして捉えていたものに名前を与えられたのはとても嬉しかったし何より安心できた。自分の他にもこの痛みに苦しんでいる人がいるというのは、僕を前向きにさせた。「何かわけのわからない痛みに自分だけ苦しんでいる」という感覚はとても絶望的なものだった。そしてネットで調べた柔軟運動などに取り組んでうちにどうやら自分には梨状筋症候群が原因の坐骨神経痛が発生していることを発見した。
しかしなぜ自分が坐骨神経痛に苦しんでいるのか。これが思い当たる節はいくらでもあるのだ。長身且つ猫背、悪い姿勢での読書、自習室でのバイト(備え付けの椅子がオンボロで小さくて体に負担をかけたんだと思う)、そもそもの不養生、引っ越し(業者に依頼せず自分でした)などなど。知らず知らずからだに負担をかけ続けた結果、腰痛に悩まされ始めたのが去年の冬の暮れ頃だった。きっかけとなった動作など一切覚えていない。兎に角尋常ではない痛みに冷や汗が出て、横になる体制以外を取れなくなった。からだを動かすのが怖くてひたすら横になっていた。この時は下半身に痛みは無かった。
しばらくしてなんとか老人みたいに腰を曲げながらなら動けるようになったので、近くの整形外科に行った。レントゲンを取らされ触診され。取り敢えず骨に異常はない。何が原因かわからないと言われた。家族に相談しても「腰痛はそんなもんや。原因はいつもわからんねんや」と言われた。そうしたらどうやって治せというんだと思った。
それでも数週間後にはイラン行きが控えていたのでなんとかしなくてはと思い、(このころはそのぐらいで治るものだと思っていた)整体に通い始めた。街中でよく見る整体の看板を見てはこの施設は一体何のためなんだろうと不思議に思っていたので、初めて入る時は興奮した。
整体師さんにとにかく背中が痛くて少しでも周辺の筋肉を使うと激痛が走るということを説明する。すると台の上に俯せに横になる。背中に電極を貼られ、ビリビリと電流が体に流れる。これがなんとなく心地いので「もっと強くしてもらって大丈夫です。」と調子にのると稲妻に打たれたみたいな痛みがくる。それでもあの装置は自分でも欲しいぐらい心地良かったなぁ。電気で筋肉を緩めた後、整体師さんに直接治療してもらう。
整体の体験は僕にとって興味深いものであった。背中から全く遠い足の一部を押すと背中の痛みがなくなったり。足の一部を押しながらだと深く前屈できたり。整体師さん曰く「からだは繋がっている」のだそう。僕はそれを身をもって体験した。
整体を二週間ぐらい通い続けると、腰の痛みはだいぶらくになって、歩いたりはできるようになった。そうしたら次は足が痛くなっているのに気づき、足と指摘されていた猫背も治療することになった。しかし僕はイランに行くのをすでに2週間遅らせていたので早く行きたくてうずうずしていた。治療半ば、僕はイランに旅たった。飛行機の中は地獄だった。
からだは僕の最初の道具
「体」か「身体」か「からだ」か。「からだ」のほうが近い。最近のお気に入りの視点「道具性」を「からだ」に適応してみると、興味深いことに気づいた。「からだ」だけじゃなくて「あたま」も道具なんだ、と。けど、「ぼく」と「あたま」には乖離がある。これもまた面白い。どういう風にこれらが繋がって、連携しているのかはわからないが、繋がっていて、「ぼく」の言うことの大抵にはちゃんと従ってくれる。
もしかしたら、今あまり体調が良くないからこう言う風に感じるのかもしれない。けど、「尋常状態じゃない時の幻覚作用」みたいな風に思いたくないし、実際そうとも思えない。「科学」は一つの視点でしかないといういことをみんな覚えて置くべきだ。
この視点、感覚は芸術を製作する上で大事だと思う。この この感覚にいつでも来れるように準備しておくのも「創作活動」の一環である。